おぐら庵@濃厚な暮らし

いつか縁側で暮らしたい大学四年生

教育を受ける権利ではなく洗脳を選ぶ権利があると思う

国民に与えられているのは教育を受ける権利ではなく、教育という名の洗脳を選ぶ権利だと思ってる。もはや日本で高校行かない人って珍しいと思うし、大学卒業もそこら辺にゴロゴロいる。教育は半義務化しているな、というのが私の感想。その上で教育という新しい知識を得てある程度社会に属することができる人間性の育成が目的なら、それは獣の調教、矯正、洗脳と同等だと思う。批判しているわけではないよ。集団の一部として生まれて集団が成り立たなかったら崩壊するだけだしね。妥当な判断だと思う。ただ別の側面から見ると、教育って洗脳だなって。

(先に言っておくと必ずしも大学に行けとか高学歴が良いとかではなく、日本全体で見た時に就職よりも進学の割合が遥かに多いよね、という話。正直思想強め人間なので、他人が中卒だろうが高専だろうが興味がないし、その道を選ばなかった私に批評する権利はないと思ってる)

この記事で言う教育は義務教育や高校、大学だけでなく自己学習も含んでいる。つまり人は私を洗脳できるし私も私を洗脳できると思っている。正直洗脳って悪いことではないと思っていて、生き抜くために必要な手段だとも捉えられる。洗脳する側、される側にとってね。第三者から見たら良くないものというニュアンスが強い。私たちは自分が洗脳されているなんて思いもしないから、必然的に良くないものだと認識している。

例えば。労働者に一度でも指揮官の暮らしぶりを堪能させたら、絶対に忘れられないし自分が惨めに感じる。ずっと寒い場所で暮らしていたら自分が寒い場所にいるという実感はない。カエルを熱湯に入れたら逃げ出すけど、徐々に沸騰させていくならカエルは逃げ出さない。

洗脳って気づかなかったら幸せなんだよ。メリーバッドエンド。当人たちは幸福を知らないから不幸を知ることもない。

少し話はズレたけど、それでも洗脳されるのは嫌だって人もいると思う。だがしかし。洗脳から逃れることはできないわけで。生まれた瞬間に与えられる名前も食事も相手の反応も言語だって、身の回りの全てが学習対象で洗脳に近しい。生きている限り影響され続けるわけ。

ここで本題の洗脳を選ぶ権利に戻るわけだけど。洗脳されることは確定。ただし洗脳の内容は選べるよって話。わかりやすいところだと学校教育かな。小学校中学校は義務教育だけど、どの学校で勉強するかは選べる。資格試験も自分がやりたいものを選んで勝手に勉強できる。頭がよい人と友達になりたいなら友達を選ぶことだってできる。もっというならYoutubeチャンネルを何を見るかによっても洗脳の内容は変わるよね。

自分が能動的に動くことによってどんな洗脳結果になるかは変わるわけだから、積極的に動くのが大事!! 動かないとどんどん嫌な自分ばかり見えて負のループに入ってしまうからね。だから自分の好きな人、憧れている人になりたいと思うならその人がどんな努力をしているのかを探すと、必然的に自分もその洗脳を受けることになる。

と、思う。

と、思いたい。

そういうことにしておけば、私ももっと勉強するより良い自分になれると思うはず。これも一種の洗脳ってわけ。紙に書き出して自分の考えをまとめておけば自分のとりあえずの方向性ができるのでね。もっともっと勉強したり遊びに行ったりしてよりよい自分になりたいね!!!!