おぐら庵@濃厚な暮らし

いつか縁側で暮らしたい大学四年生

小説に対するこだわりのような何か

昨今AI関連で大騒ぎされている事案として、おそらく最も印象深いのはイラストなのだろうなと思う。次点で映像や音声。どちらかといえば小説は重要視されていないと思う。わたしにとっては小説が人生で青春で生活で人と繋がれるコミニュケーションツールのようなものだから、特に困るのだが。仮にAIを利用して小説を書いたにしても、それがどれだけ良い作品であろうと、私はそれを小説と認めたくはない。それはAI小説という別ジャンルのものであって小説ではないと主張したい。読み物として正しく小説であるだろうとは思うけれど。

小説を読むにあたってキャラクター性やストーリーの展開も魅力ではあるが、最も重要視しているのは言葉選びだ。「だんだん早くなる」と書くのか、「だんだん、早くなる」と書くのか、「だんだん、はやくなる」なのか、「はやくなる、だんだん」なのか。この絶妙なニュアンスの違いを楽しんでいるのにAIが作った文章だとその機微が悟れない。それが最も良いものとして扱われてしまうから。同様の理由で電子書籍の書式変更も嫌いである。

つまりAI利用の何がダメなのかといえば、紡がれた言葉が「これがいい」ではなく「これでいい」になってしまうのが嫌なのだ。もちろんちゃんと考えていると言われればそれまでだけど、それでもなんか嫌なわけだ。

何かの文章で、センスとは違和感を感じ取る能力だと考察している方がいた。確かにな、と思う。より自然に読めるように、より舌触りが良い食感になるように、いや敢えてゴツゴツとした素材の形を堪能してもらおうか、そういった作品が漏れ出る一種の香りが最も美しく魅せる仕掛けなのに、それがないのだ。ないのがショックなのだ。

私にとっては汚れひとつない文章のその奥底にある、心血注いで涙と糞尿と胃酸に塗れた八百万もの原稿用紙の死骸のエッセンスが最も楽しみなのに。それがないなら別物として扱って欲しい。AI作品であることを全面に出してAIはAIで比べて欲しい。同じ土俵に上げないでほしい。もし仮にどうしても同じ土俵に上がってしまうのだとしても、「この作品はAIを使用しています」と記載して欲しい。騙し討ちは勘弁だ。

たった一行がそんなに苦痛か? 手間な作業なのか。経験と知識から引き摺り出して血涙を油に枠組みのないパズルをするクリエイターたちよりも? そうだと即答する人間は嘘つきだ。別のジャンルのものを比べることはできない。そうでないと言うなら今すぐ作品に記載してこい。わからないと言うなら偉大なる人生の先輩たちに敬意を払って記載してこい。答えが出ないというならば作品を取り下げてこい。 不愉快だから。

別のジャンルとして、元々あった文化を尊重して嘘をつかずに提示された作品なら私だって嫌悪感はない。その程度の礼儀すら守れないなら辞めちまえクソッタレども。