おぐら庵@濃厚な暮らし

いつか縁側で暮らしたい大学四年生

感情<体験<行動<意思=選択

今週のお題「変わった」

 人生は選択の組み合わせだ。自分が認識しないながらも1秒1秒、思考を含む行動の全てが選択制だと思ってる。だから人生が変わったタイミングなんて分からない人が大半のはず。私も人生が変わるタイミングなんてわからない。道を歩いていると自分はまっすぐだと思っていても、地図で見たら実は曲がっていた、みたいなもん。喉元を通り過ぎないと熱さはわからないんだろうな。だから私は全力で選択することの重要性を考えてほしい。

 朝起きて顔を洗う、までの間に選択することはいくつもある。まず起きるかどうか、先に着替えるかどうか、そのまま歯を磨くのか、そもそも顔を洗うのかといった行動だけでなく、今日何をしないといけないんだっけ、歯ブラシは右手で持つんだっけ、今日は右足から歩き始めよう、みたいな考えや無意識も選択だ。

 もちろん人生を円滑に進めるにあたって無意識の選択も大切だ。無意識の生活ってつまりルーティン。決まりきった定型のこと。人間が1日に考えられる最大値って決まっているらしい。ならそのリソースをどのように扱うか、機械化して負担を減らすのか、最適化する行動を取るのは必要なことだと思う。

 でも朝の些細な行動ならともかく、起きてから寝るまでの全ての行動を最適化してしまったならそれはもう、ロボットなんだよ。人間である必要性はなくなる。感情は体験から生まれるし、体験は行動から生まれる。行動は意思から生まれ、意思は選択と同義だ。であるなら全ての根幹である選択を失ってしまうなら人生は灰色の無機物になってしまうと思う。

 だから選択って重要だ。

 日本人が選択を意識するタイミングは、大きいものだと受験、就活。小さいものだと今日の服装なのではないかなと考える。だけれど、私はもっと細かく選択してほしい。

 選択というのは自分で選ぶこと、能動的な行動だ。昨日と同じことをする、というのは昨日の自分を受容していて、昨日とは違うことをするのは外へ出づる行為だ。もちろん昨日と同じことをするという選択も選択肢の一つだと思う。どう生きるのかは自分自身で決めていい。だけど、ただ受け入れて行動を反復するだけでなく、選択肢を踏まえた上で選択してほしい。それだけで、世界は大きく変わると思う。自分で選んだ行動には意思が介入している。その選択に自分自身が寄り添えるようになるはずだから。

 と、思いながら私は今日を生きています。