おぐら庵@濃厚な暮らし

いつか縁側で暮らしたい大学四年生

死ぬって言葉を軽く使ってるから生きてんのかもしれない

 酔っぱらいの戯言だしふざけんなって思う人もいるかもしれないけど、簡単に死ぬって口にすることで私は生きてんのかもしれないなあって思った。

 なんでそう思ったのかとか、どういう状況で感じたのかとかは忘れたんだけど(1、2時間前のことなのにね)死ぬ=精神的に辛い、しんどい、死んで逃げ出したいくらいって考えることで本来の命を絶つという意味がより遠のいた気がしてる。
精神的にしんどいとか辛いって事実を死ぬっていう端的な言葉に集約することで抽象性が高まってると思う。死ぬとか鬱とかそういった言葉に別の意味を与えることでしんどさはあるものの現実味を極力消してんのかな。

 なんでこんなこと考えてるのかって言うと、「死ぬ」って本来は強い意味なんだよな。だから人前で使うことを選ばないといけないと思う。それは、たとえ上の考えを持っていたとしても備えて置くべき最低限のマナーに類すると思うから。丁寧な言葉を使ってしんどいって表す方がじゃあいいのか?って考えた時に、しんどい事実をしんどいって伝えると物凄く「ああ私しんどいんだ」って感じて逆に気分が下がる。人と会話するって言うのはもちろん人と対話することだけれど、人との会話を通して自分を見つめ直すことでもあると思う。だから相手だけでなく私のことも気遣ってあげたいと思った。

 じゃあ1人なら死ぬって言葉を使ってもいいのかというと、私にとっては許される言葉だな、という分類。「失敗した! 死にたい!」って思った時、口に出さないだけで「まあ死なないけどな?」とか「失敗したけど死にはしないだろ」って私の理性が反論してくれる。

 感情と理性が会話してくれるお陰で私はうまく均衡を保てていると思う。

 まああくまでこれは私の考えだし、そんなことねーよっ!! という人はそれでいいと思う。くれぐれも私やそれ以外の人間に意見の押しつけはしないでね。自分自身にも意見の押しつけはしないでほしい。意見があるならなぜそう感じたのか、を深堀りしましょうね。

 本当に死んだら私は悲しいよ。私は創作でよく死ぬことや絶望を扱うわけだけど、決して死んで欲しい、苦しんで欲しい訳ではなくて。ただどんな最悪な状況下でも上を向いて強く生きているあなた達が最も美しいって思っているからそう描くだけ。もちろん幸せ軸も描くけど、幸せっていうのは不幸せと正反対だからこそ理解出来る感情だと思うんだよな。

 脱線してきたから終わり。幸せと不幸せについてはまた別で書きます。